仏山市 (Foshan)
唐代の628年に市内の塔坡岡で3体の銅の仏像が発掘され、近くに塔坡寺が建てられたことから、仏山と改められた. また付近の仏教の中心地ということで、「禅城」とも称される.
明代の1449年(正統14年)、梁広などの郷紳により「忠義営」という武裝組織が組織され、黄蕭養らによる農民蜂起の鎮圧に当たったことから明代は梁広を「忠義官」という称号を与え、仏山一帯を「忠義郷」と称するようになった. この頃の仏山は窯業が隆盛であり、江西省景徳鎮・湖北省漢口鎮(武漢市)・河南省朱仙鎮とともに中国四大名鎮に数えられていた.
清代の1732年(雍正10年)、嶺南地方の行政改変が行われ、仏山には「仏山直隷庁」が設置され広州府の管轄となっていた. 辛亥革命により成立した中華民国は南海県の管轄下に置かれた. 中華人民共和国成立後の1949年10月29日、南海県より仏山専区が独立した行政区分として独立、1975年には広東省直轄市の仏山市が成立した. 1983年6月に南海県・順徳県・三水県・高明県・中山県の5県が同市の管轄(同年12月、中山県は中山市として分割)となり、2002年に下部行政区域として禅城区・南海区・順徳区・三水区・高明区の5区が設置され現在に至っている.